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「あなたが気にしなければ、『見た目問題』は存在しない」 ~当事者たちの現在地(上)~

2020年2月14日

総合PR会社オズマピーアールとグループ会社のヘルスケア領域専門PR会社ジェイ・ピーアールは、PR会社としての知見とネットワークを活かし、様々なヘルスケア領域に関わる組織・個人と一緒にコミュニケーション課題の解決に取り組む「テトテトプロジェクト」を展開しています。
本コラムでは、プロジェクトの一環として、患者さんやそのご家族、治療に携わる医療従事者の生の声を聞き、その声を広く届けることで、より良いヘルスケア・コミュニケーションの確立を目指しています。

カメラを向けると、自然体な笑顔を見せる。
「周りの人々が私の見た目を気にしないでいると、私自身も気にならなくなるんです」、そういって彼女は笑う。
唇と上顎が生まれながらにつながらないまま生まれてくる「口唇口蓋裂」―。
小中学生の頃は、その見た目を揶揄されることも少なくなかったが、そんな彼女が「自分の居場所」を見つけた高校時代が人生の一つの転機になったのだという。6年ぶりに訪れた母校で、彼女と、彼女を近くで見てきた親友、そして、お母さんに話を聞いた。

口唇口蓋裂当事者 タガッシュさん、24歳。
昼間は在宅医療器具の製造の仕事をしており、夜は趣味である画作りに没頭する。将来的には、自分の好きな絵を書くことを仕事にしたいという。

「ファンタジーの世界を描くのが好きで龍や現実にはいない生物をよく描きます。過去には見た目に症状がある人をイラストとして描いていたこともあって、いろんな皮膚の質感の違いを描くのが楽しかった」。

絵を語るときは、自然と熱が帯びる。そこには、24歳という等身大の人生を生きる、一人の女性の姿がある。
ただ、彼女の歩んだ人生は、順風満帆だった訳ではない。

「小学校から中学までは見た目を理由にいじめがありました。特に中学の時は不良グループからのいじめがひどくて、『口がキモい』などと言われました」

温かい家族に囲まれ、のびのびと育った幼少期。ただ、成長とともに社会の接点が増えていく中で、「見た目問題」に直面することになったという。

「廊下を歩いていたら、配膳台を思いっきりぶつけられたこともあります。学校の先生は何もしてくれなかったし、私自身もはなから信用していませんでした」

いじめの事実を知っていながら、授業の中でいじめていた生徒たちと同じグループに入れられることもあるなど、生徒を守る立場の教師からのバックアップが十分に得られないことも少なくなかった。
教師だけではない。学校行事の合唱コンクールに向けた練習の時は、彼女を避けて両脇が空いていた。それを知ったお母さんは、合唱コンクールの本番の土曜日にあえて病院の予約を入れて、当日は欠席した。
「小学校、中学校生活の思い出で、良い記憶はありません」―。少し寂しそうに笑いながら、でも淡々と彼女は振り返る。

高校は、デザイン科のある工業高校に進学した。窮屈な中学校の生活を抜け出し、好きだった絵をもっと学びたい、その一心だった。
でも、その決断が思わぬ人生の転機につながっていく。

入学から間もない教室に、お昼を知らせるチャイムが鳴り響く。
学食へ急ぐ生徒、机を並べて、早速作った友達とお弁当を食べる生徒。
新しい環境に囲まれ、ぎこちない雰囲気がただよう教室の中で、後のタガッシュさんの親友は、所在のない、落ち着かない気持ちで過ごしていた。

「中学のときにあまり友達が多くなかったので、不安でした。入学早々、新しい友だちができる雰囲気もない中で、タガッシュさんの方から『新しい猫のお弁当箱を買ったんだよ』と話しかけてくれて、とても嬉しかったのを覚えています」

会話を重ねると、人には多くの共通点があった。イラストを描くことや好きな音楽。仲良くなることに時間はかからなかった。
そんな2人の間には、「見た目問題」は存在しなかったのだという。

口唇口蓋裂が話題に上がったこともなかった。親友がその病気を知ったのは、タガッシュさんのTwitterのプロフィールを初めて見たとき。

「過去にいじめられていて暗い時期があったなんて信じられませんでした。そんな時期があったなんて感じさせないくらい、タガッシュさんは明るい人だったので」

2人が通った工業学校は1クラス40人程。共に所属したデザイン科は、1年生から3年生まで、ずっとA組。席替えもなかったのだという。
徐々に高校生活になれていく中、親友との出会いを通じて、タガッシュさんは中学時代とは全く異なる居心地の良さを感じていた。

「見た目問題」に取り組む、NPO法人「マイフェイス・マイスタイル」に出会ったのも、ちょうどこの頃だった。タガッシュさんが高校2年生の時、全国紙に「見た目問題」を啓発する写真展の告知記事を読んだことがきっかけだった。
実際に足を運び、見た目にさまざまな症状を抱えた人たちの存在を初めて知った。それから、マイフェイス・マイスタイルの出版していた情報誌をすべて買い、定期的に開催されていた懇親会にも、時には親友を伴って参加するようになった。
新しい出会いを通じて、タガッシュさんはまた一つ、自分の居場所をそこに見出すことができたのだという。

久しぶりに訪れた母校。2人が3年間通った教室の中で、思い出話は尽きなかった。
教室の黒板に、得意なイラストを描いてもらった。絵のテイストがまったく異なる2人だが、今でも毎日のように連絡を取り合っている仲だそうだ。
人生の転機となった、高校時代の絆は今も変わらずに続いている。

「工業高校は好きなことを突き詰める人が多い環境だったので、高校の友達は、自分の中に世界を持っている子が多かったです。自分が好きなジャンル以外は興味もないし、かといって他の人の好きなものにもあれこれ言わず、『そういう世界もあるのね』と受け入れてくれる」

「いい意味で見た目を気にせず、個人の世界観を尊重して接してくれた」クラスメートについて、2人は懐かしそうに振り返る。
そこには、確かに「見た目問題」が存在しない世界があった。

(下に続く)

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