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社会潮流への洞察:イノベーション普及のための戦略的コミュニケーション ~社会 / 一般生活者それぞれの心理的メカニズムに基づいた設計~

【コラム要旨】
  • 個人の意思決定に当たっては、社会的利益よりも個人的利益が優先されがちである
  • 多くの社会的利益を有するイノベーションであったとしても個人的利益の設計が重要になる
  • イノベーションの推進者は、イノベーションの社会的属性や人々の意識を的確に把握した上で適切な利益/コミュニケーション設計を行うことが必要となる

※このコラムでは以下のRogers(2003)の定義のように広く捉えています。           
「イノベーションとは、個人あるいはその他の採用単位によって新しいと知覚されたアイデア、習慣、あるいは対象物である」(Rogers, 2003)



―― 社会的利益と個人的利益の不一致

現代は、気候変動対応をはじめとしてグローバルな社会課題に各国/各企業が対応する必要性に迫られています。グローバル社会、日本社会、投資家、社員、一般生活者等さまざまなステークホルダーからも企業活動の社会性を強く要請されており、各企業も自社の価値創造プロセスにおいて社会性を強く意識するようになりました。いわゆるブラック企業的労務環境の改善や自社のサプライチェーン全体の脱炭素化に向けた情報開示等、様々な活動を通して課題解決に取り組んでいます。

また、社会課題を解決するためのイノベーションのチャレンジも産官学連携の下で推進されています。2021年3月に閣議決定された「第6期科学技術・イノベーション基本計画」においては、イノベーションを単なる企業活動の商品開発や生産活動に直結した行為ではなく、地球環境問題などの複雑で広範な社会的課題へ対応するため、社会の変革を志向する「トランスフォーマティブ・イノベーション」という概念に進化しつつあることを指摘しています。

当然のことながら、社会課題解決の重要性は増しており、その解決のためには様々な取り組みやイノベーションが必要になります。しかし、社会視点先行で推進すると、思わぬ落とし穴にはまる可能性があります。仮に、社会変革を実現するようなイノベーションが開発・実装されたとしても、それが社会に普及しないと意味がありません。普及のためには一般の生活者が、そのイノベーションを積極的に支持し、購買・消費・採用することが必要になります。

生活者の視点に立った場合、「社会的に必要である/正しい」とされる社会的利益のある活動(例えば、気候変動対策や生物多様性の確保等)は総論として支持する一方で、実際に自分が何かを購買・消費・採用する時には、社会的利益ではなく個人的利益(低価格等)で商品サービスを選択するということは珍しいことではありません。自分が直接的なコストやリスクを負担する際の意思決定(購買・消費・採用)は、社会的利益ではなく個人的利益を優先しがちになります。つまり、意思決定の理由として、社会的利益と個人的利益はイコールにはならないことが多いということです(図表1)。

[図表1]
個人の意思決定の理由として、社会的利益と個人的利益はイコールではない



―― 事例:遺伝子組換え作物の「スティグマ化」

日本のみならず世界各国で大論争となった遺伝子組換え作物がその代表例といえるでしょう。遺伝子組換え作物は、もともと世界的食糧危機への対応として世界的に重要な取り組みとされ、多くの社会的利益が見込めるイノベーションでした。日本では1996年に当時の厚生省による安全性確認が取れた遺伝子組換え作物の一部品種の輸入を解禁しましたが、その後、市民団体を中心に遺伝子組換え作物輸入反対/表示義務化の声が急速に高まってしまいました。

社会的に有望なイノベーションがなぜ早期に大きな反対にあったのでしょうか。推進役であった多国籍企業への不信感/不満や遺伝子操作という自然に反する行為への恐怖感等、その要因は様々挙げられていますが、その一つには、遺伝子組換え作物は主に多国籍企業を含めた産業界にとって利益の高いイノベーションであり、一般生活者の利益には直結していなかったことが挙げられています。一般の人々にとってみれば、個人的な利益もなく、かつ、完全に安全かもわからない遺伝子組換え作物が、いつのまにか輸入解禁され食卓に並んでいるかもしれないという状態にさらされたことになります。このような中で、「世界的食糧危機の解決のための必要なイノベーションである」という社会的利益を訴求しても一般の生活者の態度変容には全くつながりませんでした。

2001年以降、遺伝子組み換え作物の表示義務は課されることになりましたが、すべての食品に表示義務が課されているわけではなく、現在でも日本は実質的には飼料/加工用途として遺伝子組換え作物(主にはトウモロコシ、ダイズ、ナタネ等)を大量に輸入している状態にあります。しかしながら、急速なリスク認識の高まりによって遺伝子組換え作物の社会的な評判が大きく傷つくことになってしまい、遺伝子組換え作物は現在においても社会的にスティグマ化してしまっているといえます。

※スティグマ
「社会における多数者の側が、自分たちとは異なる特徴をもつ個人や集団に押しつける否定的な評価」(広辞苑より)



―― 「利益」と「リスク」の心理的メカニズム

この遺伝子組換え作物に対する生活者の心理メカニズムは、これまで国内外問わず非常に多く研究されてきました。その主要なテーマの一つに、先ほど挙げた人々の「利益(ベネフィット)-リスク」の心理メカニズムがあります。

遺伝子組換え作物をはじめとしたバイオテクノロジーは、人々にとっては今まで経験したことのないイノベーションです。通常、ある選択により多くの利益を得ようと思えば、それには高いリスクを伴うという関係性が一般的(その最たる例は金融商品)だと思いますが、人間の心理では利益とリスクは互いに因果関係にあり、多くの利益を有すると感じる選択は、その選択によるリスクは低いと認識する傾向にある(負の相関関係がある。その逆も然り)ことが示されてきました。

また、この利益-リスクの関係性は情動(affect)を起因とする非自覚的な意思決定(affect heuristic:情動ヒューリスティック)により起こるものであると言われています。つまり、最初に好印象を抱いたイノベーションは、利益が多くリスクが低い(悪印象を抱いた場合にはリスクが高く利益が少ない)と直感的に認識してしまうことになります(図表2)。

また、グローバルまたは日本の社会課題解決といった社会的利益は認識されづらく、味覚や健康によい等の個人に直接影響のある個人的利益の方が直接的な意思決定に影響を及ぼしやすいことも示されています。

[図表2]
「利益」と「リスク」の心理的メカニズム

このような利益-リスク関係を踏まえて遺伝子組換え作物の事例を考えると、世界的な食糧危機対応等の社会的利益は認識されず、国がいきなり輸入を解禁したため、一般生活者が何の目印(ラベル表示)もなく摂取する状態になり、不安感にかられたことでリスク認識が一気に高まりました。国や企業側から個人的利益の提示がその後もなかったことから、結果的に「高いリスク+利益なし」というイノベーションとして世の中から拒否されていったということになります。

この利益-リスク関係は遺伝子組み換え作物以外の事例でも確認することができます。たとえば、行政が進める個人情報の一元化の取り組みは、個人情報一元化による行政手続き効率化が推進され、ビッグデータ解析による各種行政サービスの利便性/効果も飛躍的に増大することが見込まれ、多くの社会的利益があります。これは行政サービスの質向上ならびに手続き簡素化という点で個人的利益としても認識できます。一方で、個人情報を行政に把握されることに不安感を感じる人々は、その利益を認識せずに、リスクの認識をより強く持ち、これら施策に反対することになります。そのリスク認識を変えるためには、リスク認識を大幅に超過するわかりやすい個人的利益(経済的利益等)の実現が必要になります。



―― 「社会的利益」の高いイノベーションを推進するためのステップ

社会課題解決のためのイノベーションは、総じて社会的利益が先行することとなり、一般生活者の個人的利益は後付けになってしまいがちです。この場合、一般の生活者はこれら施策・活動に個人的利益を感じず、持続的な参画や購買・消費・採用にまで至らない可能性があります。イノベーションとは、そもそもが今までのやり方や考え方の変更を促すものであり、一般の生活者に対して大なり小なりストレス(=リスク)を与えるものです。ゆえに、当初の印象如何ではリスクの認識が際立って高くなってしまう可能性もあります。政策の一環として個人的利益(税制優遇等)を人為的に生み出すこともできますが、イノベーションそのものが個人的利益をもたらすことを一般の生活者に認識してもらうことは非常に重要です。そのためには、イノベーションを推進する主体は、社会や生活者それぞれの「利益」の設計ならびにコミュニケーションの設計を戦略的に行うことが必要になるでしょう。

一般論として、あるイノベーションが世の中に語られ始めた初期は「社会的利益」を強調する言説がマスメディア等で広がります。この段階は様々なイノベーション共通のファーストステップであり、過度に楽観的な将来展望が語られることが多くなります。

そのファーストステップ以降が、イノベーションがもたらす「利益」設計ならびにコミュニケーション設計によって変わりうる領域です。これらの設計が適切になされない場合、遺伝子組換え作物の事例のように、イノベーションの普及プロセス(イノベーション普及曲線)に乗る以前に社会から退場せざるをえなくなる場合もあります。では、これら設計をどのように考えるべきでしょうか。考えるポイントは主に3点あります(図表3)。

[図表3]
「利益」ならびにコミュニケーション設計の主なポイント


ポイント①: 生活者の深層意識(=正統性意識)の把握

マクロレベルで捉えると、一般生活者の意識(意見・考え方)は、さまざまな要因(政治経済環境や海外の出来事、社会的大事件の発生等)により刻々と変化しています。これは生活者全員の意識が変わっているというよりは、特定の層の意識がマジョリティを占めるかどうかにより変動するものと思われます。たとえば、脱炭素推進には賛否両論ありますが、社会的状況の変化により、脱炭素推進賛成派の意見が支持を集める場合もありますし、反対派の意見が現実味を帯び支持を集めることもあります。ロシアのウクライナ侵攻を契機としてエネルギー安全保障の観点から脱炭素推進をもっと現実的なペースに落とすという声が出てきているのもその一例と考えられます。

このように刻々と変化する生活者の意識を深層レベルで把握することが初期調査として必要です。深層レベルとは社会的な正統性の意識を意味します。正統性というと大げさな意味に聞こえるかもしれませんが、「今の社会で望ましいと思われていること」ということです。正統性には次の定義がよく引用されます。

「正統性とは、規範、価値観、信念、定義といった社会的に構築されたシステムの中で、ある実体の行動が望ましい、適切、あるいは妥当であるという一般化された認識や想定である。」 (Suchman, 1995)

海外では正統性の研究は活発に行われており、たとえば、気候変動が迅速に推進されないのは、いまだ「経済的利益がもっとも優先されるべきである」という意識が根底にある(正統性を有している)からではないか、といった研究もなされています。この場合、表面的に気候変動の必要性を訴求しても実質効果は薄く、この根底にある正統性意識自体を変革するためには何が必要か、という議論が必要になります。

正統性に反する行為はネガティブな感情を誘発することになり、そうなると情動ヒューリスティックにより、利益が低くリスクが高く認識される可能性があります。人々のネガティブな感情を誘引させないためにも、推進したいイノベーションに関連する社会的テーマや社会課題について、現時点でどのような正統性意識がマジョリティとなっているのかを把握することは重要な初期的リサーチです。また、このリサーチにより当該イノベーションが普及しやすい意識を有しているセグメントも明確になります。


ポイント②: 個人的利益と社会的利益の設計

次のステップは、明確な「利益」の設計です。これは個人的利益ならびに社会的利益それぞれに必要となります。

一般の生活者は社会的利益よりも個人的利益に反応しやすいので、イノベーションによる個人的利益を明確に示すことが必要になります。ここで重要な点は「シンプルさ」です。「風が吹けば桶屋が儲かる」的なロジックだと非常に分かりにくく、現実感も薄れてしまいます。個人的利益の設計が難しいイノベーションもあるとは思いますが、今後の普及を想定すると、この個人的利益をシンプルに設計することは非常に重要です。

また、社会的利益の明確な設定ももちろん必要です。冒頭に述べた通り社会的利益は総論として支持されますが、一般生活者個人の購買・消費・採用インセンティブにはなりにくい側面があります。しかしながら、賛同者や支持者を増やし、組織内外からさまざまなリソース(資金・人材・情報・設備等)を調達するためには、この社会的利益の設定が非常に重要になります。本コラムの事例に挙げた遺伝子組換え作物においても、多くの反対論もあり社会的にスティグマ化されたイノベーションであるにもかかわらず、遺伝子組換え作物がどうしたら社会的に受け入れられるかということに関して多くの研究や議論が今もなおなされています。これは研究対象としての魅力度や経済的ポテンシャルが大きいということも当然あるとおもいますが、多くの社会的利益が見込めるという点が人々を引き寄せているという側面もあるかと思います。

遺伝子組換えとは異なる編集プロセスを有するゲノム編集技術を使った食品が日本ではすでに流通しています。このゲノム編集食品は遺伝子組換えと同様に世界的食糧危機への対応という社会的利益も有しています。同時に、遺伝子組換え食品とは異なり、ゲノム編集食品は、個人的利益(「健康によい成分を多く含んでいる」等)も明確に設計されています。このように社会的利益・個人的利益が明確になることによって、当該イノベーションが社会に普及する素地が形成されることになります。


ポイント③: 戦略的コミュニケーションの実践

「今の社会で望ましいと思われていること」をどれだけ強く感じているかは、望ましい状況と乖離がある「現状」に対する課題意識の強さに依存します。ゆえに、現状の課題(社会課題)を世の中に提起することが重要となります。そのソリューションとしてイノベーションが位置付けられるので、まずは課題提起を行い、支持者/賛同者を増やすことが必要です。

支持者/賛同者を増やすためには社会的利益を訴求し、当該イノベーションが世の中にとっていかに必要なのかを訴求し、実際の普及に当たっては、そのイノベーションが生活者個人にとってどのような利益があるのかという個人的利益を訴求するというコミュニケーションが必要になります。

また、「現状に対する課題意識」が強く認識された課題は、社会的利益自体の実現が個人的利益とシンクロすることもありえます。たとえば、職場環境の改善や働く人の多様性の確保は、社会的利益がそのまま個人的利益になります。ポイント①の生活者の深層意識の把握、ならびにポイント②の社会的利益/個人的利益の設計を的確に行うことで、戦略的コミュニケーションの設計は様々なパターンが考えられます。

イノベーションは、そもそも今までのやり方や考え方の変更を促すものであり、皆が歓迎するとは限りません。各人が置かれた状況により、賛成/中立/反対/無関心など、さまざまなリアクションが想定されます。過去の様々な事例を見ると、国が政策的に安全性等に少しでも不安のあるイノベーションを導入しようとする場合には個人のリスク認知に影響を与え、生活者中心のボトムアップの反対が起こる可能性があり、逆に、個人的利益を過度に高めるイノベーションをある企業が販売した場合には、社会や地域等の社会的規範に抵触することになり、社会的圧力となって当該イノベーションを排除する形になるという構図が見受けられます。このように一口で「イノベーション」といってもさまざまなタイプ分けができます。

イノベーションを社会に普及させようとする場合には、紋切り型のコミュニケーションを行うのではなく、そのイノベーションの社会的属性や人々の意識を的確に把握した上で適切な利益/コミュニケーション設計を行うことが必要となるでしょう。

社会潮流研究所 主任研究員
古橋 正成


社会潮流研究所
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【問い合わせ先】
株式会社オズマピーアール 戦略推進室 広報部
Eメール:kouhou@ozma.co.jp
TEL:03-4531-0201

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